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J.S.K.S.増刊号

死の淵にありて(4年 中山裕貴)

投稿日時:2022/09/15(木) 23:50

STAND&FIGHT

高校に入学した4月、新入生向けの部活動紹介パンフレットには、そう大きく書かれていた。
ラグビー部のページだった。
ラグビーとの出逢いだった。

この言葉は高校ラグビー部の部訓で「立って闘う」「自立し挑戦する」という2つの意味がある。



ところが残念なことに、高校時代にこの部訓を体現できた試合など1回しかなかった。
JSの仲間からしたら意外に思うかもしれないが、高校時代はタックルを避ける行動をひたすらに取り続けていた。
FWリーダーであるにもかかわらず、仲間を順目に回してタックルさせ、当の自分自身は逆目に立ち、仲間のミスを叱責していたのだから、今思えばとんだクズ野郎だ。
「自立」も「挑戦」もしていない、何様目線。自分のやりたいことだけをやり続けた、傲慢な3年間だったように感じる。

そして当然、しんどいプレーを他に任せる自分はチームの一体感を生み出すことはできず、どこか満たされない想いを感じながらプレーしてきた。
完全に自分のせいだというのに。

そのため、高校時代のラグビーに「やりきった」という感情などなかった。
引退が決まった試合の後、同期は人目も憚らずに泣いていた。私は泣けなかった。整った呼吸で空を見上げ「何で泣けないんだろう」と思う余裕さえあったほどだ。



1年間の浪人を経て、大学でもラグビーがしたいと思ったのはきっと「一体感」のあるチームで「出し切る」瞬間を追い求めた結果なのだろう。
そういう意味でJSという、全国から部員が集まり多様性を認めながらも1つのチームを形成し、本気で日本一を目指す環境は自分にとって必然的なチョイスであったように感じる。

しかしながら、1年次にはどうしても一体感を感じることができず、何度も海外旅行に逃避した。慣れない一人暮らし、かさむ交通費。地方勢の壁を感じたことに加え、練習参加率で絶対評価される世界。2年次にコロナ禍となった際、1年間の静岡滞在を決断したのも、心のどこかで見切りをつけていたのかもしれない。
そんな中の唯一の繋がりこそ、同期の皆だった。
夏休みには静岡に遊びに来てくれて、来シーズン共にプレーすることを待ち望んでくれた。この声に応えたい。同期とラグビーがしたい。そんな想いが強まっていった。



気づけば最終学年になり、幹部としてチームと正面から向き合うことになった。
そこで私は1つの目標を立てた。「心」で繋がるチームにしたい。運命のいたずらか、JSKSという船に乗り込んだ同志。舵取りを担う年長者として誰一人置いていきたくない。過去の自分がそうしてほしかったように。
だから私は、FWのみんなとは個別に食事に行って、1人ひとりのモチベーションの源泉や、JSのどういう側面に惹かれているのか探った。チームビルディング、自己紹介&リレーブログ、練習MVP…。様々な企画を考案して「JSが好きだ」と1人でも多くの部員に思ってもらえるよう、力を尽くした。

そうして迎えた菅平合宿。同じ屋根の下に寝泊まりすることで、日を追うごとにチームが1つになるプロセスを全身で感じた。高校のように物理的・時間的に拘束することなく、チームの帰属意識を醸成することができた9日間だった。何よりその事実に一番感動していたのは、紛れもない自分自身だ。自分自身が渇望していた組織の姿になってきている。そして自分自身が、ありたい姿に着実に近づいているのを感じた。

合宿中に部員全員に書いてもらったしおり。夜も更けていく中、眠い目をこすりながらも皆本当にびっしり書いてくれた。思いの丈を赤裸々に打ち明けてくれた。「ああ、いいチームになっていくなあ」。深夜の幹部部屋で1つ1つ読み込んでいる時間は、皆の純真な心に触れているような、温まる時間だった。

その最終日のページに、こんなことを書く後輩が多かった。
「合宿楽しかったです!幹部の皆さんありがとうございました!」
合宿は幹部がつくり上げたものではないよ。1人ひとりが同じ方向を向いて9日間走り続けてくれたからこそ、ここまで感慨深い合宿ができた。幹部は、その方向を指し示しただけ。

そう、菅平合宿は自分が高校時代から夢見ていた「心」で繋がる運命共同体が、ついに完成した瞬間だった。これだけでもう、十分な贈り物を頂いた気分だ。

今年一年、常に後輩にパワーをもらってきた。グラウンド内外、後輩の支えなくては成り立たないことばかりだった。
そして来る最期の闘いを、君達と迎えることができるなんて、これ以上ない幸せだ。後輩には心から感謝したい。
あと、もう少ししかない。JSKS2022、全員で走り抜けよう。



昨年、私はJSで初めてクラブ選手権のスタメンとして試合に出場した。ありがたいことに、ほとんどの試合で80分間闘い抜く経験をさせて頂いたが、実は少しの葛藤と覚悟があった。

私の1個下には、かぐらと篠崎という優秀なバックローが2人いる。
かぐらは攻守共に非常に高いレベルでプレーをし、特にブレイクダウンを得意とするガッツ溢れる男。篠崎は前への強い推進力をもち、チームの流れを変える男だ。

 


正直、田舎の無名ラグビー部出身の私とは素地が違う。にもかかわらず、なぜ彼らを差し置いて自分はスタメンに選ばれているのか?年功序列なら廃止してほしい。しっかりと彼らの実力を評価してあげてほしい。
かぐらのジャッカル、篠崎の推進力。自分がチームに貢献できるバリューとは?
何度考えても、昨シーズン終盤まで答えは出なかった。

そんな私が曲がりなりにも気づいた、自分にしかない価値。「STAND&FIGHT」。これしかなかった。
80分間、常に立って闘い続ける、ファイティングポーズをとり続ける、目の前の敵を倒し続ける。
至極当たり前のことなのかもしれない。しかし、7年間この言葉を背負ってきた人間として、絶対に譲ることはできない。

だからここで宣言する。
最後のクラブ選手権、全力で「STAND&FIGHT」することを。
愛すべき後輩と同期のために。このチームを守るために。
この仲間になら、私の全てを心から捧げることが出来る。

冒頭、「STAND&FIGHT」できた試合が1回だけあったと話した。それは高校2年次、花園常連校の高校総体連覇を阻止した試合だ。

ノーサイドの笛が鳴り響いた瞬間、膝から崩れ落ち、涙が止まらなかった。激しく辛い練習を乗り越えた先に待っていた、唯一無二の勝利の体験だった。

私はこの、勝鬨を上げ抱擁を交わす体験を、JSの皆と味わいたい。
「この仲間、このチームでラグビーができてよかった」と何度でも思いたい。
そうして、ラガーマンとしての7年間の生涯を閉じることができれば、本望だ。

だから私は、この言葉を贈ることにした。
このブログを読む後輩に。
何より、最期の闘いを迎える同期、そして自分自身に。

STAND&FIGHT

 

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