J.S.K.S.増刊号 2019/5/18
新入生自己紹介NO.10
投稿日時:2019/05/18(土) 18:35
この度、伝統あるJSKSの90期の一員となりました理工学部1年の中澤優一郎です。出身高校は浅野高校で、同高校のラグビー部に6年間在籍していました。ちなみにポジションはウィングとフルバックを主にやっていました。
6年間やっていたと言っても実質3年間のようなものです。うちの学校のラグビー部は監督どころかマネージャーすらもいなく、チームの主権は各部員に与えられていた(?)ようなチームでした。そのため、私は恥ずかしながらその権利に甘えて中学3年間はラグビーの練習が飽きたら隣のサッカー部から転がってくるサッカーボールでよく遊んでいました。
しかし、私も心身共に成長していく人間であるため、高校3年間はサッカーボールが転がってきても、スルーをすることはできませんでしたが、遊ぶことをやめてラグビーに打ち込みました。
そこで気付いたことがあります。それは「サッカーは走って蹴るだけ、野球も走って投げるだけ(個人的見解)だけどラグビーって走る、蹴る、投げるが全部できんじゃん、ラグビーやってて飽きることはないんじゃね」ということです。
「走る」、「蹴る」、「投げる」これを私はスポーツの三種の神器と呼びます。三種の神器を持つということは、ラグビーがスポーツ界における天皇であるということです。ちなみに、米国発祥のアメ何とかというスポーツも三種の神器を持っていますがスポーツマンシップに欠ける行動が見られたためラグビーより優ることはまずありません。つまり、ラグビーがスポーツ界の最高峰だということです。
読者の皆様は、こいつ何が言いたいんだ?と思うかもしれません。
要するに私が言いたいこととは、このような素晴らしいスポーツを大学でも続けられることを誇りに思い、それがJSKSという格式高い名門クラブで出来ることを心から感謝しているということなのです!
こんな感じのゆるい人間ですが今後ともよろしくお願いします。
6年間やっていたと言っても実質3年間のようなものです。うちの学校のラグビー部は監督どころかマネージャーすらもいなく、チームの主権は各部員に与えられていた(?)ようなチームでした。そのため、私は恥ずかしながらその権利に甘えて中学3年間はラグビーの練習が飽きたら隣のサッカー部から転がってくるサッカーボールでよく遊んでいました。
しかし、私も心身共に成長していく人間であるため、高校3年間はサッカーボールが転がってきても、スルーをすることはできませんでしたが、遊ぶことをやめてラグビーに打ち込みました。
そこで気付いたことがあります。それは「サッカーは走って蹴るだけ、野球も走って投げるだけ(個人的見解)だけどラグビーって走る、蹴る、投げるが全部できんじゃん、ラグビーやってて飽きることはないんじゃね」ということです。
「走る」、「蹴る」、「投げる」これを私はスポーツの三種の神器と呼びます。三種の神器を持つということは、ラグビーがスポーツ界における天皇であるということです。ちなみに、米国発祥のアメ何とかというスポーツも三種の神器を持っていますがスポーツマンシップに欠ける行動が見られたためラグビーより優ることはまずありません。つまり、ラグビーがスポーツ界の最高峰だということです。
読者の皆様は、こいつ何が言いたいんだ?と思うかもしれません。
要するに私が言いたいこととは、このような素晴らしいスポーツを大学でも続けられることを誇りに思い、それがJSKSという格式高い名門クラブで出来ることを心から感謝しているということなのです!
こんな感じのゆるい人間ですが今後ともよろしくお願いします。
新入生自己紹介 No.9
投稿日時:2019/05/18(土) 11:30
こんにちは。この春、慶應JSKSに入部しました、井口隆二です。出身高校は鹿児島のラ・サール高校で、ラグビーは未経験です。
新歓期間、同じ1年生がいっぱいビラを配られ新歓されチヤホヤされるなか、2年浪人を経験し風貌や雰囲気など老けてしまった僕は、1年生に見られず新入生最速でビラ配りの道を抜け、悲しさのあまり自分からビラを取りにいっていたとき、溝口先輩の熱い勧誘、峰先輩の包容力に魅了され、JSKSに入部を決意しました。
中学でラ・サールに入学し、6年間男子校で寮生活をしました。毎日寝食をともにし、騒ぎあったあの日々で結ばれた絆はとても固く、ラ・サールの同期は今でもよく集まっています。
中高、バレーボール部に所属しておりました。
ラ・サール時代に一番頑張ったことは、応援団です。歴代の応援団長になるのは、顔がかっこよく足が長く華がある人なのですが、、さまざまな人々の支援、応援のおかげで、顔もかっこよくなく足のとても短いのに、団長になることができました。高2の時に団長に任命されてから、仲間と一緒に1年間体育祭の勝利、成功を目指して駆け抜けた日々は僕にとって人生で一番の宝物です。
今年1年のJSKSでの目標は、ラグビーを基礎から学び、1日でも早くまともな戦力になることです。
どうぞよろしくお願いします。
新歓期間、同じ1年生がいっぱいビラを配られ新歓されチヤホヤされるなか、2年浪人を経験し風貌や雰囲気など老けてしまった僕は、1年生に見られず新入生最速でビラ配りの道を抜け、悲しさのあまり自分からビラを取りにいっていたとき、溝口先輩の熱い勧誘、峰先輩の包容力に魅了され、JSKSに入部を決意しました。
中学でラ・サールに入学し、6年間男子校で寮生活をしました。毎日寝食をともにし、騒ぎあったあの日々で結ばれた絆はとても固く、ラ・サールの同期は今でもよく集まっています。
中高、バレーボール部に所属しておりました。
ラ・サール時代に一番頑張ったことは、応援団です。歴代の応援団長になるのは、顔がかっこよく足が長く華がある人なのですが、、さまざまな人々の支援、応援のおかげで、顔もかっこよくなく足のとても短いのに、団長になることができました。高2の時に団長に任命されてから、仲間と一緒に1年間体育祭の勝利、成功を目指して駆け抜けた日々は僕にとって人生で一番の宝物です。
今年1年のJSKSでの目標は、ラグビーを基礎から学び、1日でも早くまともな戦力になることです。
どうぞよろしくお願いします。
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